独立行政法人 情報通信研究機構(NICT)が主催する「第2回 国際標準化活動 若手交流会 講演会」を拝聴してきました。国際標準の活動の中でベテランから若手にスキルを伝授するというのが目的の会合なのですが、標準化活動には直接関係のない私も訳あって参加しました。標準化について非常に興味深いお話をうかがったので書かせていただきたいと思います。
NHKアイテックの熊田純二氏は、1964年からHDTV(ハイビジョンTV)の標準化に従事されてきており、その歴史を講演されました。テレビの画面のサイズは、1953年の12インチから10年から15年で倍の大きさになってきたそうで、1990年には29インチになっています。従来からのテレビはNTSC方式と言って、525本の走査線で構成されていますが、1990年の画面のサイズでは、走査線上の粒子が直接見えて、放送の内容が見難くなる限界となるそうです。実際は、各ベンダーが、いろいろな努力をして、実用上の問題をクリアしてきたのですが、技術上の限界は明らかにあります。その限界を克服してメディア産業を発展させるためにHDTVの開発がNHKで始まりました。
当初は、HDTVに関心のなかった欧米も次第に、その将来性やメディア産業での重要性を理解し(その背景には映画監督のフランシス・コッポラ監督の影響が強かったそうです。)、国際的な標準化の活動が始まりました。日本は、従来の異なる標準のどれもそのまま前提としない中庸の妥当な標準として、1125本の走査線を提案しましたが、1985年から90年にかけて、ハードは日本、ソフトはハリウッドに独占されることを恐れた欧州が、1250本の対抗案を出してきました。一方、米国も同時期に自国方式を主張してきました。結局、日本の提案どおりに1125本の走査線の標準が確立したのが、1999年であり、HDTVの開発開始から30年かかっていました。
標準化についての国家間の戦争が15年余り続いたことになります。つまり、標準化の努力の基準のひとつは自国の利益であり、所属する組織の利益であるわけです。ソフトウェアの標準化でも同様のことが言えます。ただし、ソフトウェアは米国中心であり、国の争いというよりは企業の争いになっています。たとえば、CORBAを標準化しようとしたときにマイクロソフトはDCOMを独自に開発してCORBAには参加せず、CORBAが市場に出てきた後も、Javaによるアプリケーション・サーバというビジネスに目が向いたベンダーはCORBAを中核には据えませんでした。最近はオープンソースでリファレンス・インプリメンテーションを作って標準化するという方法がとられているので、事情は少し違いますが、標準化は何のために行うのかという自問は常に必要でしょう。
もうひとつは、講演の中で、同じスタンダードでも「規格化」と「標準化」は違うというお話がありました。なるほどと思いましたが、ソフトウェアの標準で規格という考え方に出会ったことがありませんでした。規格というのは、コンセントの形状のようにインフラを利用する上で守らなければならない決まりで、規格に従って製品を製造します。一方、標準化は、強制力の弱い、皆で使うものという意味のスタンダードで画像の評価の方法などを指すということです。そういう意味では、ソフトウェアでは、規格が存在しない換わりにデファクト・スタンダードというものがあります。しかし、デファクト・スタンダードは特定のベンダーの製品であったり、特定のテクノロジーに偏っていたりましますので、すべての関係者がインフラを自由に使えるような規格とは本質的に異なるもののはずです。
江川
PS:
たとえば、テレコムの世界ではNGNと言って、IPをベースとした新しいインフラへ移行しようとしています。このインフラで電話のサービスをするとしたときに電話の呼の制御を担うのがSIP(Session Initiation Protocol)です。しかし、IETFが決める仕様だけでは、相互運用が完全ではありません。日経ITproの”つながらないのが“常識”の標準プロトコル「SIP」”と記事にあるように、守らなければならない規格を決めることが必要なのではないでしょうか。ベンダーの思惑を排除するような手法を考える必要があると思います。
